格付け会社が監査会社を買った日──S&Pグローバルのオープンゼッペリン買収が示す「コードリスクの格付け化」

格付け会社が、スマートコントラクト監査会社を買う
2026年9月17日、S&Pグローバル(NYSE: SPGI)は、ブロックチェーンセキュリティ企業オープンゼッペリンの買収契約を締結したと発表した。買収額などの財務条件は非公表で、S&Pは本取引が同社の財務結果に重大な影響を与えるものではないとしている。取引完了には所定の条件を満たす必要がある。買収後もオープンゼッペリンは現在の名称のまま独立した事業部門として運営され、デミアン・ブレナーCEOが引き続き事業を率いる。報告先はS&Pグローバル・レーティングのヤン・ル・パレック社長であり、格付け部門の直下に置かれる点が本件の性格を端的に示している。財務アドバイザーはS&P側がジェフリーズ、オープンゼッペリン側がFTパートナーズ、法務はそれぞれクリフォードチャンスとクーリーが務めた。
オープンゼッペリンが占めている二重の位置
同社は2015年設立で、事業は二本柱からなる。第一が、開発者が再利用できるスマートコントラクトのコード集「OpenZeppelin Contracts」である。トークンの発行や権限管理に必要な機能を標準実装として提供するオープンソースライブラリで、S&Pの発表によればこのライブラリを通じて移転された価値は37兆ドル(1ドル155円換算で約5,700兆円)を超え、最大規模のステーブルコインとトークン化ファンドの大半がこの標準の上に構築されている。第二が、セキュリティ監査と安全な開発の支援サービスであり、これまでに900件超のセキュリティ関連業務を実施し、本番稼働前に1万件超の脆弱性を発見してきた。つまり同社は、業界が使う部品を作る側であると同時に、その部品を使って作られたものを検査する側でもある。この二重の位置こそが、今回S&Pが買ったものの本質である。オープンゼッペリン側は同日の発表で、Contractsライブラリは引き続き無償のオープンソースとしてGitHub上で公開・維持され、リリース済みの各バージョンは恒久的にオープンソースであり続けて誰にも撤回できないこと、将来のバージョンもオープンソースとすることを明言した。監査や開発業務も同じチームが継続するとしている。
S&Pが1年がかりで組み立ててきたデジタル資産スタック
この買収は単発の案件ではなく、明確な積み上げの最終ピースにあたる。S&Pグローバル・レーティングは2023年12月からステーブルコイン安定性評価(SSA)を提供しており、1(非常に強い)から5(弱い)の5段階でペッグ維持能力を評価している。2025年11月にはテザーのUSDTを4(制約あり)から5(弱い)へ引き下げ、準備資産における高リスク資産の増加と開示の不足を理由に挙げた。2026年8月時点では、評価対象11銘柄のうち6銘柄が「適切」以上とされている。データ層では、2026年9月1日にS&Pダウ・ジョーンズ・インデックスと暗号資産データ企業カイコが共同ブランドの指数シリーズ「S&Pカイコ・デジタルアセット・インデックス」の提供を開始し、続く9月14日にS&Pグローバルがカイコへの戦略的出資を主導したことを発表している。発行体の資産評価、市場データ、ベンチマーク指数と揃えてきたスタックに欠けていた最後の層が、技術そのもののリスク評価だった。ル・パレック社長は、デジタル資産戦略の中心はオンチェーンへ移行する市場に信頼できるデータ、ベンチマーク、透明な リスク評価をもたらすことにあると述べている。
何が新しいのか──コードリスクが格付け可能な構成要素になる
伝統的金融では、信用リスク、市場リスク、オペレーショナルリスクがそれぞれ評価手法を持つ。ところがトークン化された金融商品では、権利や資産そのものが健全でも、それを表現するスマートコントラクトに欠陥があれば損失が発生する。この技術層のリスクは、これまで「著名な監査会社のレポートがあるか」という二値的な判断にとどまり、商品間で比較可能な指標にはなっていなかった。S&Pが買ったのは、この層を評価可能にする能力である。発表文が「オンチェーンセキュリティ評価とベンチマークの次世代を創出する能力」という表現を使っている点は重要で、狙いは監査事業の収益ではなく、評価とベンチマークの生成にある。実務的には、機関投資家がトークン化商品を選定する際、原資産の信用力と並んでコントラクトの技術リスク水準が比較検討の対象に加わることを意味する。
残る論点──標準の提供者が、評価者を兼ねる
同時に、構造的な論点も生じる。オープンゼッペリンは業界標準のライブラリ提供者であり、監査の実施者であり、今後はS&P傘下で評価とベンチマークの生成にも関わる。自社の標準を使って構築されたシステムを、自社グループが監査し、自社グループが評価するという構図である。格付け業界が長年抱えてきた利益相反の問題が、そのままオンチェーンの技術層に移植される可能性がある。オープンゼッペリンがライブラリのオープンソース性を異例の強さで確約したのは、この懸念を先回りして封じる意図と読める。ただし、オープンソースであることと、評価プロセスの独立性が担保されることは別の問題である。
【事業開発に関するインサイト】
- トークン化商品を提供する側は、監査レポートの取得から評価取得へと準備の質を切り替える必要がある。これまでスマートコントラクトの安全性は、著名な監査会社のレポートを提示すれば足りる領域だった。格付け会社が技術リスク評価とベンチマークを商品化すれば、機関投資家の選定プロセスにおいて商品間の比較が可能になり、評価水準そのものが販売上の制約条件になる。日本の金融機関がトークン化証券や円建てステーブルコインを設計する際、監査を開発の最終工程に置く従来の進め方では、評価取得に必要な設計上の要件を後から満たせない事態が起こりうる。評価基準を設計段階の要件として先に取り込む体制が要る。
- オープンソースの事実上の標準を握ることには、それ単体では収益化しにくいが、その上に評価やベンチマークを載せた瞬間に価値が生まれるという構造がある。オープンゼッペリンはライブラリを10年にわたり無償で提供し続けた結果、37兆ドル超の価値移転を支える位置を得た。その位置は監査サービスでは部分的にしか収益化できず、格付け会社と組んで初めて評価事業として成立する。日本企業がブロックチェーン領域で部品や規格を提供する場合、直接の課金にこだわるより、標準としての普及を優先し、その上位に評価・認証・ベンチマークのレイヤーを構想する順序のほうが、結果的に大きな事業機会につながりうる。
- 評価を利用する側は、どのレイヤーの独立性が担保されているかを確認する必要がある。標準の提供者、監査の実施者、評価の生成者が同一グループに属する構造は、発行体課金モデルの格付け業界が抱えてきた問題と同型である。金融機関が投資判断や商品選定にS&Pの技術リスク評価を用いる場合、監査部門と評価部門の情報遮断がどう設計されているか、自社ライブラリを使用した案件の評価に調整が入らない仕組みがあるかを、利用開始前に確認すべき論点として挙げておきたい。同時に、複数の独立した評価者が存在する状態が望ましいことから、オープンゼッペリン以外の監査・評価事業者との関係も並行して維持する調達方針が、リスク管理上は合理的である。
【引用:出典】
S&P Global「S&P Global Announces Agreement to Acquire OpenZeppelin」(2026年9月17日)https://press.spglobal.com/2026-09-17-S-P-Global-Announces-Agreement-to-Acquire-OpenZeppelin OpenZeppelin「S&P Global Enters Agreement to Acquire OpenZeppelin」(2026年9月17日)https://www.openzeppelin.com/news/spglobal-enters-agreement-to-acquire-openzeppelin あたらしい経済「S&Pグローバル、OpenZeppelin買収で合意。オンチェーン金融のリスク評価を強化へ」(2026年9月18日)https://www.neweconomy.jp/posts/609024 あたらしい経済「S&Pグローバル、暗号資産データ企業Kaikoへの戦略的出資を主導。シリーズB総額170億円に」(2026年9月)https://www.neweconomy.jp/posts/607978 S&P Global Ratings「More than half of Stablecoin Stability Assessments are adequate or above」(2026年8月4日)https://www.prnewswire.com/news-releases/sp-global-ratings-more-than-half-of-stablecoin-stability-assessments-are-adequate-or-above-302842767.html CoinDesk「S&P Downgrades Tether's USDT, Citing Falling Bitcoin Prices as Risk」(2025年11月26日)https://www.coindesk.com/policy/2025/11/26/s-and-p-downgrades-tether-s-usdt-citing-falling-bitcoin-prices-as-risk S&P Global Ratings「Stablecoin Stability Assessment」製品ページ https://www.spglobal.com/ratings/en/products/stablecoin-assessments あたらしい経済「S&P、『USDT』の評価を最下位に格下げ。準備資産の高リスク化と開示不足を懸念」https://www.neweconomy.jp/posts/521390
石田陽之(いしだあきひさ)
Cabinet株式会社 代表取締役
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