オンチェーンはわずか0.4%——伊中銀が実測した「ステーブルコイン送金の真のコスト構造」

中央銀行が自ら送金して測った実験
本レポートはイタリア中銀の「市場・インフラ・決済システム」シリーズ第86号として公表されたもので、研究者が一般利用者になりすまして実取引を行う「ミステリーショッピング」手法を、ステーブルコイン送金に初めて本格適用した事例とされる。イタリアを中心(ハブ)に、アルゼンチン、ブラジル、南アフリカ、アラブ首長国連邦(UAE)、日本との双方向10ルートで、それぞれ200USDC(約200米ドル、日本円で約3万円相当)を送金した。金額を200ドルに設定したのは、世界銀行の送金コスト統計(Remittance Prices Worldwide)と比較可能にするためである。実験は2026年3月24日と26日に実施され、送金ネットワークは原則イーサリアムを使用。イタリア側はバイナンスとクラーケン、相手国側はリピオ(アルゼンチン)、フォックスビット(ブラジル)、ビットオアシス(UAE)、ヴァルア(南アフリカ)と、現地の主要取引所を用いている。
「ステーブルコイン・サンドイッチ」の中身を分解する
実験の設計上の最大の工夫は、送金を5つの工程に分解した点にある。すなわち、①入金(法定通貨を取引所に入れる)、②購入(法定通貨をUSDCに替える)、③送金(ブロックチェーン上で移転する)、④売却(USDCを現地通貨に替える)、⑤出金(銀行口座に引き出す)である。業界では、安価なブロックチェーン決済層が高コストな法定通貨変換の間に挟まれる構造を「ステーブルコイン・サンドイッチ」と呼ぶが、本実験はそのパンと具の内訳を初めて実測した。
結果は明快だった。③のオンチェーン送金は全ルート平均で0.4%、ブラジルからイタリアへのルートでは0.01%にまで下がった。一方、総コストが8.95%に達したUAEからイタリアへのルートでは、利用可能な入金手段がクレジットカードのみで、その手数料が3.8%を占めた。出金手数料も事業者ごとにまちまちで、課す事業者と課さない事業者が併存する。つまりコストを決めているのはブロックチェーンの性能ではなく、どの取引所を選び、どの入金手段を使うかという極めて実務的な選択なのである。
速度を決めているのも国内決済インフラだった
所要時間についても同じ構図が現れた。オンチェーン送金は8ルート中7ルートで15分以内に完了しており、ブロックチェーンはボトルネックではない。律速となったのは法定通貨側である。イタリアのTIPS、ブラジルのPIX、アルゼンチンのTransferencias 3.0といった即時決済網が整備された国では、入金・出金が1分以内に終わり、送金全体が20分以内に完結した。対して通常の銀行送金に依存する南アフリカでは1〜2営業日を要し、ステーブルコインの速度優位は完全に消滅した。論文はここから、ステーブルコイン送金と国内即時決済インフラは「代替関係ではなく補完関係にある」と結論づけている。
日本は「安いが使えない」という逆説
日本のケースは、規制の設計が結果を左右することを最も鮮明に示した。論文によれば、日本ではドル建てステーブルコインの個人向け取扱いが単一の国内事業者に限られ、かつ海外取引所への直接送付が認められていないため、実験では非カストディアル型ウォレットを経由せざるを得なかった。さらに1回あたりの数量上限があるため送金を分割する必要が生じ、一般利用者の日常利用とは到底言えない複雑さになった。名目上のコストは日本発イタリア向けで1.6%、イタリア発日本向けで1.3%(このルートのみソラナを使用、オンチェーン部分は0.15%)と競争力のある水準だったが、他ルートと同一手法で実行できていないため単純比較はできない。論文は、円建ての世界のフィアット・暗号資産取引シェアが2010年代半ばの約60%から2024年には約4%へ低下したという推計を引き、過度に厳格な規制は需要を消すのではなく海外プラットフォームやDeFiへ押し出すと警告している。
既存プレイヤーとの比較は「引き分け」
世界銀行の平均送金コストとの比較では、ステーブルコインはUAEを除く全ルートで優位に立った。ブラジル発は9.96%に対し2.21%、南アフリカ発は15.23%に対し5.44%と差は大きい。しかし、大手送金事業者ワイズとの直接比較では、USDCが安かったのは3ルート、高かったのは4ルートと拮抗した。世界平均の送金コストが依然6.4%前後で、G20および国連の持続可能な開発目標が掲げる「2030年までに3%未満」の目標に届いていない現実を踏まえれば、ステーブルコインは「劣悪な既存手段よりは安いが、優良な既存手段より安いとは限らない」という位置づけになる。なお米連邦準備制度理事会が2026年3月に公表した論考も、オンチェーン費用がほぼゼロである一方、実質的なコスト構造はオンランプ・オフランプに宿ると整理しており、両者の診断は一致している。
事業開発インサイト
- 収益とボトルネックはオンチェーンではなく「両替レイヤー」に集中している。オンチェーン部分が0.4%まで圧縮された今、ブロックチェーンの高速化・低廉化を訴求点にする事業モデルは差別化余地が乏しい。逆に、法定通貨の入出金、現地通貨との交換レート、出金手数料といったオンランプ・オフランプこそが、収益源であると同時に顧客体験上の最大の摩擦点である。取引所選択とルーティングを最適化するミドルウェア、複数の現地オフランプを束ねるアグリゲーター、企業向けに実効コストを可視化するツールには、明確な事業機会がある。
- 国内即時決済インフラとの接続深度が、そのまま競争力の差になる。ブラジルのPIXが平均3秒で決済し成人人口の9割超に到達していることが、同国ルートの速度と低コストを支えていた。日本には全銀システムやことら送金という高品質な即時決済基盤が存在するため、これらとステーブルコインの入出金を直結できる事業者は構造的な優位を持つ。銀行・資金移動業者との提携は付随的な論点ではなく、事業の中核設計として位置づけるべきである。
- 最大の価値創出は「オフランプを消す」設計にある。論文が政策的含意として最も強調したのは、受取側が現地通貨に戻さずステーブルコインのまま支払いに使えれば、経済的優位性は大幅に高まるという点である。これは業界で「トースト型」と呼ばれるモデルで、B2B決済、越境給与支払、加盟店決済といった、受け取ったまま次の支払いに回せる用途こそが本命であることを示唆する。日本ではJPYCやJPYSCといった円建てステーブルコインが登場し、2026年6月1日には改正資金決済法が施行されて信託型の裏付け資産運用が柔軟化された。円建てで受け取り、円建てのまま決済に回す経済圏を構築できるかが、日本市場における事業成否の分水嶺となる。ただし、ドル建てステーブルコインの利用拡大が通貨代替(ドル化)を促す可能性への政策的警戒も同時に高まっている点は、規制対応上の前提として押さえておく必要がある。
出典
- CoinPost「イタリア中央銀行、ステーブルコイン送金にコスト優位性なしと結論」 https://coinpost.jp/?p=729183
- Banca d'Italia, "Are Stablecoins Efficient for Remittances? Evidence from a Mystery Shopping Exercise by Banca d'Italia", Markets, Infrastructures, Payment Systems No.86, July 2026 https://www.bancaditalia.it/pubblicazioni/mercati-infrastrutture-e-sistemi-di-pagamento/approfondimenti/2026-086/N.86-MISP.pdf?language_id=1
- CoinDesk, "Bank of Italy research suggests stablecoins aren't necessarily cheaper for remittances" https://www.coindesk.com/business/2026/08/01/bank-of-italy-research-suggests-stablecoins-aren-t-necessarily-cheaper-for-remittances
- Federal Reserve Board, "Payment Stablecoins and Cross Border Payments: Benefits and Implications for Monetary Policy Implementation", FEDS Notes, March 30, 2026 https://www.federalreserve.gov/econres/notes/feds-notes/payment-stablecoins-and-cross-border-payments-benefits-and-implications-for-monetary-policy-20260330.html
- SBI VCトレード「ユーエスディーシー(USDC)」サービスページ https://www.sbivc.co.jp/services/crypto/usdc
- 金融庁「金融商品取引法及び資金決済に関する法律の一部を改正する法律案 説明資料」2026年4月 https://www.fsa.go.jp/common/diet/221/02/03.pdf
石田陽之(いしだあきひさ)
Cabinet株式会社 代表取締役
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