「眠らないお金」が動き出した——JERA×JPモルガンとBISアゴラが示す企業財務の次の形

円建てで24時間動く預金口座、最初の利用者はJERA
2026年6月29日、J.P.モルガンのブロックチェーン部門Kinexysは、ブロックチェーン預金口座(Blockchain Deposit Account、BDA)ネットワークに豪ドル、香港ドル、日本円、人民元、シンガポールドルの5通貨を追加した。既存の米ドル、ユーロ、英ポンドと合わせて8通貨となり、同社はブロックチェーンベースの決済・オンチェーン外国為替としては最も広い通貨カバレッジだと説明している。
円建て口座の最初の利用者となったのが、JERA Global Marketsである。JERAは東京電力グループと中部電力が50%ずつ出資する日本最大の発電会社で、そのトレーディング部門としてLNG・電力・石炭を世界各地で取引している。本拠はシンガポールに置き、東京、ロンドン、ヒューストン、ブリスベンにも拠点を持つ。同社はBDAをグループ内の資金移動と流動性管理に用いる。同社の財務担当幹部は、時間帯をまたいで商品・市場を横断するトレーディング事業にとって、円を常時動かせることが財務基盤の近代化に向けた重要な一歩だと述べている。
ここで重要なのは、BDAがステーブルコインではないという点だ。顧客がJ.P.モルガンに預けた預金をトークン化し、同行が運営する許可型(パーミッションド)ブロックチェーン上で表現する仕組みで、取引は規制された銀行の枠内で完結する。加えて、あらかじめ定めた条件——たとえば口座残高が一定額を超えたら別口座へ資金を移す、あるいは自動で通貨を交換する——に基づいて資金移動を実行する「プログラマブル決済」に対応する。Kinexysの累計処理額は4兆ドルを超え、1日平均の取引額は約70億ドルに達している。
BISアゴラ、実際の価値を乗せた決済で平均80秒
もう一方のニュースは、より公的な性格を持つ。BISと国際金融協会(IIF)が主導するプロジェクト・アゴラは、2026年7月に実際の価値を伴う取引の実証(Real Value Testing)を実施し、その結果を7月29日から30日にかけて公表した。
参加したのは民間金融機関と中央銀行の計28機関。取引総額は約80万スイスフラン(約99万米ドル、日本円で約1.6億円相当)で、17の取引シナリオを対象に、1件あたりCHF9,000からCHF125,000までの規模で実行された。対象通貨はスイスフラン、ユーロ、英ポンド、日本円、韓国ウォン、米ドルの6通貨である。中央銀行としてはイングランド銀行、ユーロシステムを代表するフランス銀行、日本銀行、韓国銀行、スイス国民銀行が直接参加し、民間側にはJ.P.モルガン、シティ、UBS、ドイツ銀行、BNPパリバ、スタンダードチャータード、三菱UFJ銀行、みずほ銀行などが名を連ねた。
結果として、支払指示から決済完了までの平均所要時間は約80秒だった。BISが強調するのは、この数字がプロトタイプを既存の即時グロス決済(RTGS)システムやコアバンキングシステムと直接統合しないまま達成されたという点である。取引はISO 20022の標準電文(pacs.008、pacs.009、camt.053)を用いて外部システムと連携しており、既存インフラを置き換えるのではなく併存・相互運用する設計思想が採られている。参加機関が実務的な価値として挙げたのは、速度そのものよりも、決済のステータスと経路が端から端まで可視化されることだった。
「銀行の中でトークン化する」という第二の解
前回のレポートで取り上げたイタリア中央銀行の実証実験は、ステーブルコイン送金の総コストの大半が、法定通貨との出入り、すなわちオンランプ・オフランプで発生することを実測で示した。オンチェーン部分は平均0.4%にすぎなかった。
アゴラとBDAは、この問題に対する正反対のアプローチである。ステーブルコインが「銀行システムの外に出てから戻ってくる」構造であるのに対し、両者は中央銀行準備預金と商業銀行預金という既存のお金をそのままトークン化する。銀行システムから出ないのだから、そもそも出入りの摩擦が発生しない。アゴラでトークン化が資産の法的性質や関連する義務を変えないことが確認され、7つの参加法域すべてで決済のファイナリティが成立するとされた法的分析は、この設計の核心をなす。
つまり現在、越境決済の高速化・低廉化には二つの道が並走している。パブリックチェーン上のステーブルコインによる道と、規制された銀行貨幣をトークン化する道である。J.P.モルガンは後者を機関投資家向けデジタル決済の中核と位置づけており、同行に加えバンク・オブ・アメリカ、シティが2027年をめどに共同のトークン化預金ネットワークを準備しているとも報じられている。
自動化しても、人の判断はなくならない
ただし、実務者が見落とすべきでない点がある。アゴラの実証では、支払指示の提出前に参加金融機関がコンプライアンス確認を完了させる必要があり、二通貨取引では為替提供者による対応金額の手動確認も行われた。約250名の公的・民間セクターの職員が、決済、コンプライアンス、リスク、法務の各機能から参加している。BISはこの経験が、こうしたプラットフォームを将来採用する際の組織的な含意を各機関が評価するのに役立ったと総括している。
資金移動がプログラマブルになっても、人による確認と判断は消えない。むしろ導入初期には仕事が増える可能性が高い。権限と上限額の設計、異常取引の監視体制、障害発生時の対応責任の明確化——これらはすべて新たに定義しなければならない業務である。目指すべき姿は、日常的な資金移動が事前に定めたルールに沿って自動で進み、人は例外処理と重要な判断に集中する状態だろう。その状態に到達して初めて、「眠らないお金」は人間にとって便利なものになる。
なお、アゴラは商用サービスではない。次のフェーズは2026年第4四半期に処理量と耐障害性の検証を予定しており、技術仕様の策定は2027年第1四半期を目標としている。実運用には各参加機関のRTGSとコアバンキングを共有台帳へリアルタイム接続する必要があり、これは複数の通貨法域にまたがる工学的・法的・ガバナンス上の大仕事となる。BISは商用化の時期を明示していない。
事業開発インサイト
- 技術導入よりも「財務オペレーティングモデルの再設計」が先行課題になる。24時間動く資金インフラを導入した企業がまず直面するのは、システム接続ではなく業務設計である。誰にどこまでの実行権限を与えるか、1件あたりおよび1日あたりの上限額をどう設定するか、深夜・休日に異常が発生したとき誰がエスカレーションを受けるか。アゴラの実証に約250名が決済・コンプライアンス・リスク・法務の各機能から参加した事実は、この変化が財務部門だけの話ではないことを示している。日本企業向けには、トレジャリー業務のルールベース化と例外管理設計を支援するコンサルティング、および24時間監視・アラート運用のマネージドサービスに明確な需要が生まれる。
- 「ステーブルコインかトークン化預金か」ではなく、両者の使い分け設計が実務の争点になる。前回のイタリア中銀レポートが示したオン/オフランプの摩擦は、パブリックチェーン型の構造的コストである。一方でトークン化預金は摩擦が小さい代わりに、参加できるのは当該銀行のネットワークに受け入れられた法人に限られ、相手方も同じネットワーク上にいる必要がある。したがって、大口かつ反復的なグループ内資金移動や大手取引先との決済はトークン化預金、小口・多数・長尾の相手方への支払いはステーブルコインという棲み分けが現実解になりやすい。事業者にとっての機会は、この二層を業務側から見て一つのインターフェースに束ねるトレジャリー・オーケストレーション層にある。
- 普及の鍵はISO 20022を軸とした既存システムとの相互運用性にある。アゴラがRTGSやコアバンキングと直接統合されない状態で平均80秒を達成し、pacs.008等の標準電文で外部システムと連携した事実は、この分野の勝敗が新しい台帳の性能ではなく、既存の企業システムとどれだけ低摩擦でつながるかで決まることを示唆する。日本国内でも法人送金における電文標準化は全銀EDIシステム等を通じて進んでおり、ERP・会計システムとトークン化決済基盤をISO 20022ベースでつなぐ接続層、およびその導入を担うシステムインテグレーションには、今後数年にわたる事業機会が見込まれる。トークン化そのものよりも、その手前と奥にある接続と運用が収益源になる。
出典
- NADA NEWS「お金が24時間動き出したら、人間はいつ眠るのか──JERAとBISから見えた『眠らない金融』【編集長コラム】」 https://www.nadanews.com/362116/
- J.P. Morgan「Kinexys Expands Blockchain Deposit Accounts in Asia-Pacific」2026年6月29日 https://www.jpmorgan.com/payments/newsroom/kinexys-apac-blockchain-deposit-accounts
- Bank for International Settlements「Project Agorá – Real value testing」2026年7月29日 https://www.bis.org/about/bisih/topics/fmis/agora/rvt.htm
- BIS「Project Agorá shows how tokenisation can improve wholesale cross-border payments; work will advance to real-value testing」2026年5月27日 https://www.bis.org/press/p260527.htm
- CoinDesk「J.P. Morgan Broadens Blockchain Settlement Network as Banks Modernize Cross-Border Payments」2026年6月29日 https://www.coindesk.com/business/2026/06/29/j-p-morgan-broadens-blockchain-settlement-network-as-banks-modernize-cross-border-payments
- CoinDesk「Global Banks Test Tokenized Money for Cross-Border Payments in $1 Million BIS Pilot」2026年7月30日 https://www.coindesk.com/business/2026/07/30/global-banks-test-tokenized-money-for-cross-border-payments-in-usd1-million-bis-pilot
- PYMNTS「Project Agorá Cuts Cross-Border Payment Times to 80 Seconds」 https://www.pymnts.com/news/cross-border-payments/2026/project-agora-cuts-cross-border-payment-times-80-seconds/
石田陽之(いしだあきひさ)
Cabinet株式会社 代表取締役
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