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2026年08月10日

手数料ではなく「境界通過料」── オンチェーン金融の逆進性はどこで生まれているか

手数料ではなく「境界通過料」── オンチェーン金融の逆進性はどこで生まれているか

「使える」と「安全に使える」の距離

Decryptは8月10日、暗号資産プラットフォームChangeNOWの最高戦略責任者ポーリン・シャンゲット氏による寄稿を掲載した。主張は明快で、パーミッションレスなアクセスは「その人がシステムに入れるか」という狭い問いにしか答えておらず、金融包摂には「安全に使えるか」という別の問いが必要だ、というものである。

同氏はここで「エラー予算(error budget)」という概念を提示する。誰もが、製品の使い方を学ぶ過程で失ってよい金額の上限を持っている。同じ操作で25ドルの手数料を払うとき、1万ドルを動かす人にとってそれは煩わしさにすぎないが、100ドルを動かす人にとっては送金額の4分の1が消える。プロトコルは利用者の所得や貯蓄を知らないし、知る必要もない。しかしプロダクトは、送金額も想定手数料も到着予定額も把握できる立場にある。それでも多くのインターフェースは、あらゆる利用者が同じ資本と経験と損失許容度を持つかのように技術的な選択を提示している、と同氏は指摘する。

この指摘は直感的には正しく聞こえる。問題は、それが実際にどの程度の規模で起きているかである。

実測データが示す ── コストはチェーン上ではなく境界に溜まる

この点について、イタリア中央銀行が2026年7月30日に公表した調査論文が決定的な材料を提供している。「Are Stablecoins Efficient for Remittances?」と題された同行の市場・インフラ・決済システム研究シリーズ第86号は、主要中央銀行として初めて、ステーブルコイン送金の覆面調査を実施したものである。

調査手法は徹底している。研究陣は2026年3月24日と26日に、イタリアとアルゼンチン、ブラジル、南アフリカ、アラブ首長国連邦、日本を結ぶ10回廊で、200USDCの実際の送金を双方向に実行した。200ドルという金額は、世界銀行が送金コストを測る際の標準額に合わせたものである。取引はイーサリアム上で処理され、各送金は取引所口座への入金、USDCの購入、オンチェーン送金、USDCの売却、現地通貨での出金という5段階に分解して計測された。

結果は、総コストが送金額の0.30%から8.96%まで分布するというものだった。そして最も重要な発見は、この費用のうちオンチェーン送金が占める割合が平均0.4%程度にすぎず、大半が取引所での購入、入金手段、出金、為替換算から生じていたという点である。

具体例が構造を物語る。UAEからイタリアへの回廊では、利用可能な入金手段がクレジットカードのみで、3.8%の上乗せが発生した結果、総コストは8.95%に達した。他方、最安のイタリアからアルゼンチンへの0.30%について、同行は効率性の証拠と読むべきではないと注意を促している。この数字はアルゼンチンの公定為替レートとUSDC取引に内在するレートの乖離を反映したものであり、当日の乖離は公定レートより約3%高かった。

比較対象として、大手送金事業者Wiseとの対比では、USDCが安かったのは3回廊、高かったのは4回廊だった。ブラジルからイタリアではUSDCが2.21%、Wiseが4.68〜4.89%で明確な差がついたが、UAE関連の両方向とイタリアからブラジルではUSDCが劣後している。

世界銀行の統計と並べると輪郭が鮮明になる。同行のRemittance Prices Worldwide最新版によれば、2025年第3四半期に200ドルを送る世界平均コストは6.36%、最も高いサハラ以南アフリカ向けは8.46%だった。デジタル送金に限れば4.59%、デジタル専業事業者の指数は3.54%である。つまりステーブルコイン送金は、良い回廊では既存デジタル送金と互角以上だが、悪い回廊では世界で最も高い地域の伝統的送金と同水準になる。

なぜ固定費構造は逆進的なのか

ここで注意すべきは、逆進性が暗号資産に固有ではないという点だ。世界銀行の同じ統計では、200ドル送金の世界平均が6.36%であるのに対し、500ドル送金は4.08%である。伝統的な送金も、金額が小さいほど料率が上がる構造を持っている。

問題は、オンチェーンの技術がこの構造を解消しなかったことにある。ブロックチェーン上の送金費用はほぼゼロに近づいたが、固定的な費用は消えたのではなく、法定通貨との出入口へ移動した。取引所の入出金手数料、カード決済の上乗せ、為替スプレッド、現地銀行の着金手数料。これらはいずれも送金額に比例しない部分を含む。

そして寄稿が指摘する認知的コストも、同じ場所に集中している。どのネットワークを選ぶか、どの承認を与えるか、どの経路が最終的にいくら届くのか。これらの判断はすべて、チェーンと既存金融システムの境界をまたぐ瞬間に発生する。金銭的コストと認知的コストが同じ境界に溜まっているのは偶然ではない。境界とは、責任の所在が変わる場所であり、そこを誰が引き受けるかが未定であるがゆえに、コストが利用者に転嫁されているのである。

反復する誤操作は、不注意ではなく製品データである

この構造を踏まえると、寄稿の中心的主張はより強い意味を持つ。一人の利用者が一度誤るのは個人の判断だが、異なる利用者の間で同種の誤りが繰り返されるなら、それは製品側の設計に原因がある可能性が高い。

業界の既定の対応は教育である。ドキュメントを読み、チュートリアルを見て、ガス代の仕組みを理解し、ネットワークとウォレットとブリッジと取引所の違いを学んでから送金しなさい、と。教育は重要だが、予測可能な失敗を免責する理由にはならない。100ドルを送るのに分散システムの学位が要るべきではない、というのが同氏の表現である。

そしてこの問題が最も深刻に現れるのは、暗号資産が投機の道具ではなく生活の道具になっている市場だ。Chainalysisによれば、サハラ以南アフリカは2024年7月から2025年6月までの1年間に2,050億ドル超のオンチェーン受取額を記録し、前年比で約52%増加した。ナイジェリア単独で921億ドルである。同地域では1万ドル以下の小口送金が受取額全体の8%超を占め、世界平均の6%を上回る。2025年3月にはナイラの急落を受けて月間取引額が250億ドル近くまで跳ね上がった。

インフレと外貨不足のなかでドル建てステーブルコインに退避する人々にとって、エラー予算は極めて小さい。彼らにとっての一度の誤送金は、学習コストではなく生活費の喪失である。

事業開発インサイト

  1. 小口向けサービスの原価構造を、オンチェーン費用ではなく「境界通過費用」で設計する。 イタリア中銀の実測は、総コストに占めるオンチェーン部分が平均0.4%程度にすぎないことを示した。したがって送金プロダクトの競争力は、どのチェーンを使うかではなく、法定通貨との出入口をどれだけ内製化・最適化できるかで決まる。国内で法人向けステーブルコイン基盤が送金手数料を1件あたりの固定額で提示している例があるが、この設計思想は正しい方向を向いている。ただし固定額である以上、少額送金では料率が跳ね上がる。小口ユーザー層を取りに行くなら、出入口の手数料体系を定率と定額のどちらで設計するかが、そのまま対象顧客層の選択になる。
  2. 誤操作の発生率を、顧客サポート指標ではなくプロダクトKPIとして計測する。 反復する誤操作が製品データであるという主張を実務に落とすなら、ネットワーク誤選択率、送信先未対応による失敗率、想定と実着金額の乖離、承認後の取消要請件数といった指標を継続的に測定し、機能改修の優先順位に直結させる必要がある。これらは既に各社が持っているログから算出可能な場合が多い。教育コンテンツの拡充で対処すべき問題と、インターフェースの設計変更で対処すべき問題を分離する判断基準として機能する。
  3. 「認知コストの内製化」こそが、日本の実装が持つ差別化要因である。 国内では、ガス代を事業者が肩代わりし、公的個人認証で本人確認を済ませ、パスキーで操作させる非預託型ウォレットが一般提供の段階に入った。これは利便性の向上として語られがちだが、経済的にはより重要な意味を持つ。利用者が負担していた技術的判断のコストを、事業者が引き受けて内部化したということである。この内部化にはコストがかかり、それを誰がどう回収するかが事業モデルの核心になる。逆にいえば、内部化のコストを回収する筋道を持たない事業者は、結局そのコストを利用者に戻すほかない。包摂を掲げるなら、認知コストの負担構造を収益設計と同時に描く必要がある。

出典

監修

石田陽之(いしだあきひさ)

Cabinet株式会社 代表取締役

2017年より、一貫してトークンやNFTの活用、ブロックチェーンゲームの企画・開発、NFTを活用した事業開発に従事。大手エンタメ上場企業を始め、80件以上のブロックチェーンプロダクトに対し事業責任者や設計、PM、アドバイザー等、様々な立場でブロックチェーン関連の事業開発に関わってきた。2021年よりCabinet株式会社を創業。

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