詐欺広告に「本人確認」を求める日本政府——7省庁要請が突きつける身元インフラの主導権問題

「報告義務つき行政指導」という設計
要請文を読むと、単なる要望書ではないことがわかる。第一の柱である広告主の本人確認では、電子的認証手段の活用を含む確実な実施に加え、具体的な実施内容を2026年10月16日までに、2026年10月1日から2027年2月28日までの実施結果を2027年3月16日までに、それぞれデジタル庁へ文書報告するよう求めている。報告項目は極めて細かく、本人確認手段ごと・国内外別の実施件数と割合、不備を理由とした掲載却下の件数と割合にまで及ぶ。
第二の柱である透明性向上では、広告主の名称・所在地・身元確認の有無に加え、生成AI技術を主に用いて作成された広告である旨の表示を求めた。第三の柱である削除対応では、削除件数を理由別・契機別に報告させるだけでなく、要請主体ごとの削除率、平均対応所要時間、未削除件数の理由別内訳まで報告対象としている。
法的性格としては行政手続法第2条第6号の行政指導であり、処分ではない。だが要請文は、著名人名義を無断使用した虚偽の投資実績表示が刑法第161条第1項(偽造私電磁的記録文書等行使)に、無登録業者による誘導行為が金融商品取引法第29条に抵触し得ることを明示している。強制力を持たない要請の中に、刑事・行政の法的根拠を織り込んだ構成である。
広告が入口、暗号資産が出口という構造
警察庁の令和7年(2025年)確定値によれば、SNS型投資詐欺の認知件数は9,523件(前年比48.5%増)、被害額は1,288.0億円(同47.9%増)。1件あたり平均約1,353万円という高額被害である。当初の接触手段はバナー等広告が3,785件、ダイレクトメッセージが3,549件で、両者で全体の約8割を占める。要請文はさらに、バナー等広告の接触ツールとしてYouTubeが27.1%、Instagramが16.3%、TikTokが10.4%、Facebookが6.5%、LINEが4.8%、Xが2.1%を占めると注記した。今回の要請先5社は、この6サービスすべての運営主体に対応する。
出口側の数字はさらに重い。SNS型ロマンス詐欺では暗号資産送信型の認知件数が2,177件(前年比177.0%増)、被害額247.7億円(同189.7%増)と急伸し、振込型における暗号資産振込を合わせると、被害金等の交付形態が実質的に暗号資産であるものが総認知件数の40.4%、被害総額の48.6%を占める。詐欺の入口が広告に集中し、出口が暗号資産に集中している。この二点をつなぐのが本人確認の空白であり、政府はいま両端を同時に締めにかかっている。
台湾との対比が示す、要請の実効性リスク
参照すべき先行事例が台湾にある。2024年7月施行の詐欺犯罪危害防制条例は、オンライン広告プラットフォーム事業者に対し、デジタル署名やFIDO認証等による広告主および資金提供者の本人確認、詐欺防止計画の策定、年次透明性報告の提出を法的義務として課した。台湾デジタル発展部は後日、投資詐欺広告が96%、なりすまし広告が94%減少したと発表している。
対照的に日本が選んだのは、法的義務ではなく報告義務つきの行政指導である。この選択にはリスクがある。Reutersが2025年末に報じた内部文書によれば、Metaは日本が全広告主の本人確認義務化に踏み切ることを警戒し、規制当局が用いる検索キーワードや著名人名を特定したうえで自ら検索を繰り返し、該当広告を広告ライブラリから削除するという手法をとった。当局に見える範囲を清掃する一方、構造的な本人確認導入は回避されたと報じられている。日本での成功後、この手法は米欧やインド、豪州、ブラジル等へ「グローバル・プレイブック」として展開されたという。今回の要請が細粒度の報告項目を並べたのは、この経験を踏まえた設計とも読める。
マイナンバーカード名指しが意味するもの
見落とされがちだが、要請文が個人の確実な本人確認手段としてマイナンバーカード、法人については商業登記電子証明書を明示した点は戦略的意味を持つ。海外プラットフォームに、日本の国家デジタルID基盤を広告出稿の入口に組み込ませようとする設計だからである。自民党ディープフェイク対策合同PT(座長・平将明氏)が2026年5月19日に党正式提言としてまとめた「ディープフェイク詐欺広告対策に関する提言」も、広告主の本人確認(KYA)義務化と罰則を含む法整備を求めていた。今回の要請は、その法制化前段の実態把握フェーズと位置づけられる。
暗号資産セクターへの含意も明確だ。この要請の照会先には、8月7日付の組織再編でまさに同日新設された金融庁「暗号資産・ステーブルコイン課」が名を連ね、同課を所管する資産運用・保険監督局長が連署している。前日の8月6日には金融庁・警察庁が連名でJVCEAに対し、出庫制限や出庫先アドレスの事前登録制など11項目の詐欺対策強化を要請済みである。入口の広告と出口の交換業者を、同じ週に、同じ問題意識で挟み込む構図となっている。
事業開発に関するインサイト
- 本人確認は規制コストから輸出可能な製品カテゴリへ移行する。 台湾ではデジタル署名・FIDO・OTP・銀行口座照合といったリスク応分の認証手段が法定要件となり、日本もマイナンバーカードと商業登記電子証明書を名指しした。本人確認の実装は各国の国家ID基盤に依存するため、日本市場でマイナンバーカードや商業登記電子証明書を用いた広告主認証を実装した事業者は、他国のプラットフォーム規制に転用可能な参照実装を先行して獲得できる。デジタルID関連事業者、eKYCベンダー、法人登記データを扱う事業者にとって、広告出稿という新しい需要面が開いた。
- 暗号資産事業者は「詐欺の出口」から「詐欺の検知点」への役割転換を迫られる。 8月6日のJVCEA要請と8月7日の広告要請は、被害の入口と出口の両端に監視点を設ける設計である。出庫制限や出庫先アドレス事前登録制はUXの明白な劣化を伴うが、これを単なる規制負担として実装するか、疑わしい取引の検知精度と説明能力に転換するかで、今後の当局対応コストと事業リスクに差が生じる。取引モニタリングと広告経由の被害申告データを突き合わせられる体制は、規制対応を超えた競争資産になり得る。
- 報告期限が実質的な意思決定カレンダーを定めている。 2026年10月16日の実施内容報告、2026年10月1日から2027年2月28日の実施期間、2027年3月16日の結果報告という設計は、2027年春に法制化の是非を判断するためのエビデンス収集工程そのものである。プラットフォーム広告に依存する金融・暗号資産関連の事業者は、遅くとも2026年秋に広告審査基準の厳格化、法人認証の要求、掲載却下率の上昇が同時進行することを前提に、出稿計画と顧客獲得チャネルの分散を組み直しておく必要がある。
引用:出典
- 金融庁「SNS等におけるなりすまし詐欺広告に関する対策の強化について」(2026年8月7日)https://www.fsa.go.jp/news/r8/sonota/20260807/20260807.html
- 同 要請文本文(PDF)https://www.fsa.go.jp/news/r8/sonota/20260807/01.pdf
- 警察庁「令和7年における特殊詐欺及びSNS型投資・ロマンス詐欺の認知・検挙状況等について(確定値)」https://www.npa.go.jp/bureau/safetylife/sos47/new-topics/260605/01.html
- CoinPost「なりすまし詐欺広告、金融庁など7省庁がSNS運営5社に対策要請」https://coinpost.jp/?p=730524
- 平将明衆議院議員「ディープフェイク詐欺広告対策に関する提言」(2026年5月19日)https://www.taira-m.jp/2026/05/post-371.html
- ITmedia NEWS「自民党、生成AIを悪用したディープフェイク広告に対策案」https://www.itmedia.co.jp/news/article/2605/13/1260513097/
- NADA NEWS「警察庁、すべての暗号資産交換業者に出庫制限強化を要請」https://www.nadanews.com/362825/
- CRYPTO TIMES「金融庁が『暗号資産・ステーブルコイン課』新設」https://crypto-times.jp/news-financial-services-agency-establishes-new-crypto-asset-and-stablecoin-division/
- Reuters特別報道(Claims Journal転載)"Meta's 'Playbook' Was to Fend off Pressure to Crack Down on Scammers"https://www.claimsjournal.com/news/national/2025/12/31/334838.htm
- 台湾「詐欺犯罪危害防制条例」条文(英訳)https://law.moj.gov.tw/ENG/LawClass/LawAll.aspx?pcode=D0080226
- Winkler Partners "Online Advertising Platforms' Anti-Fraud Liability in Taiwan"https://winklerpartners.com/online-advertising-platforms-anti-fraud-liability-in-taiwan/
石田陽之(いしだあきひさ)
Cabinet株式会社 代表取締役
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