「レンチ攻撃」が再定義する暗号資産セキュリティ ── デジタル防御の死角と業界の反撃

拡大する物理攻撃と地理的シフト
ブロックチェーン・セキュリティ企業CertiKによれば、2025年通年で確認されたレンチ攻撃は 72件(前年比75%増)、暴行を伴う案件は 250%急増、被害総額は 4,090万ドル(約64億円) であった。2026年は通年で 約130件、数億ドル規模 の損失が見込まれる。最も顕著な変化は地理的シフトで、2026年1〜4月の発生件数のうち 欧州が82%(28件/34件) を占めた。一方で 北米は9件→3件、アジアは25件→2件 へと急減している。
フランスがホットスポット化した背景
フランス国家組織犯罪検察(PNACO)は4月末、12件の捜査に関連して 88名(うち未成年10名以上)を起訴 し、75名を勾留した。2023年以降の累計は 135件(2025年67件、2026年は4月時点で47件)に達し、平均2.5日に1件 のペースで発生している。象徴的なのは、Ledger共同創業者David Balland夫妻が指の切断を伴う拷問を受けた1,000万ユーロの身代金事案(2025年1月)、Binance France社長宅への武装侵入未遂(2026年2月)、ゲーム開発者Sillytunaから 2,400万USDC が奪われた事案(同3月)などである。
「データ駆動型」標的化と家族の盾化
攻撃手法は物理的監視から 個人情報の購入 へと進化している。フランス税務総局(DGFiP)職員が暗号資産保有者の税務情報を犯罪組織に売却した事案や、税務サービスWaltioのハッキングが標的特定の起点となっており、Telegram創業者Pavel Durovも公的データ流出を公然と批判した。新規発生事案の半数超で 配偶者・子・高齢の親 が「圧力レバー」として利用され、家族同伴で襲撃されるパターンが定着している。
業界の反撃
Binanceは2026年5月4日、1〜7日間オンチェーン出金を完全凍結する 「Withdraw Protection」 を導入。デフォルト48時間のタイムロックは取引所側でも解除不能とされ、Coinbase Vaults、Kraken Global Settings Lock、Gemini、SwissBorg(最長90日)に続く業界標準化の動きとなっている。
事業開発に関するインサイト
- 「人」を起点としたセキュリティ層が新規プロダクトの主戦場へ:暗号鍵単体の堅牢化は飽和に達し、タイムロック、出金遅延、デコイ・ウォレット、強制下でも資金を動かせない署名スキームなど、"強迫耐性"が取引所・カストディの差別化要素になる。M-of-Nマルチシグ+遅延の組み合わせは、機関向けに留まらず個人向けでも標準仕様化が進む。
- KYC/データ流出リスクが「物理的安全への責任」へ変質:所有事実を示すデータ自体が物理的危害に直結するため、取引所・税務サービス・ハードウェアウォレット販売者は「漏洩起因の物理被害」という新しい責任論点に直面する。プライバシー特化型KYC(ゼロ知識証明、選択的開示)と、保有事実を監視するOSINTサービスの需要が拡大する。
- K&R保険・物理警護・住居セキュリティが暗号資産業界の隣接市場へ:従来は富裕層向けだった誘拐身代金(K&R)保険、警護会社、危機管理コンサルが、暗号資産富裕層・Web3経営者向けに本格化する。Web3企業の役員賠償・福利厚生領域でも需要が顕在化しており、暗号資産対応のスペシャルティ保険商品とブローカーに参入機会が広がる。
出典
- The Block: https://www.theblock.co/post/400601/crypto-wrench-attacks-rise-victims-family-members-risk-certik
- CoinDesk(Binance Withdraw Protection): https://www.coindesk.com/business/2026/05/04/binance-is-launching-a-withdrawal-lock-to-help-deter-crypto-wrench-attacks
- CoinDesk(France epicenter): https://www.coindesk.com/business/2026/04/19/inside-the-rise-of-wrench-attacks-against-crypto-holders-and-how-france-has-become-the-focus
- Decrypt(PNACO 88名起訴): https://decrypt.co/365596/france-charges-88-including-minors-in-crypto-wrench-attack-crackdown
- Crowdfund Insider: https://www.crowdfundinsider.com/2026/05/278122-crypto-crime-wrench-attacks-are-evolving-into-sophisticated-criminal-enterprise-report-claims/
- AMBCrypto(Pavel Durov発言): https://ambcrypto.com/pavel-durov-on-crypto-kidnappings-french-tax-officials-sell-data-to-criminals/
- Cryptowisser: https://www.cryptowisser.com/news/crypto-wrench-attacks-surge-41-percent-in-2026-as-europe-emerges-as-global-hotspot
- BeInCrypto(CertiK Skynet Report): https://beincrypto.com/wrench-attacks-crypto-holders-2025/
石田陽之(いしだあきひさ)
Cabinet株式会社 代表取締役
免責事項
本レポートは、暗号資産および関連市場に関する情報提供のみを目的として作成されたものであり、特定の暗号資産の購入、売却、保有その他一切の取引行為を推奨・勧誘するものではありません。また、金融商品取引法その他の関連法令に定める投資助言、投資勧誘、または金融商品の販売・媒介に該当するものではなく、税務・法務・会計上の助言を構成するものでもありません。
本レポートに記載された情報は、作成時点において信頼できると判断した情報源に基づいておりますが、その正確性、完全性、最新性、有用性等について当社は何ら保証するものではありません。暗号資産は価格変動が大きく、元本の毀損その他の損失が生じるリスクを伴います。投資判断は、利用者ご自身の責任と判断において行っていただくものとし、本レポートの利用に起因して生じたいかなる損害についても、当社は一切の責任を負いかねます。
ブロックチェーン新規事業のご相談
Cabinetでは、アイデア段階からの壁打ち、技術検証(PoC)、そして実装・運用まで一気通貫で伴走する事業開発コンサルティングを提供しています。まずはお気軽に無料相談をご利用ください。
Ethereumが「ブラインド署名」を終わらせる──Clear Signing標準化が示すWeb3セキュリティの新パラダイム
Courtyard.io徹底分析 ― 「フィジカル聖域」だったトレカ市場をデジタル化した流動性プラットフォームの全貌
ニュースレターに登録する
本レポートに掲載した内容に加え、業界の最新情報・未公開レポートをメールでお届けします。

