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2026年08月06日

ETHステーキング報酬をゼロにする案は、なぜ2日で頓挫したのか——EIP-8363論争の構造

ETHステーキング報酬をゼロにする案は、なぜ2日で頓挫したのか——EIP-8363論争の構造

提案の中身——発行報酬だけを焼却する設計

現行のイーサリアムは、各エポックで64×√D gwei(Dは総ステーク残高)を新規発行しバリデーターに支払う。発行量がステーク量の平方根に比例する一方で全体に分配されるため、利回りはステーキング比率の平方根に反比例して低下する。ただし低下はしても止まらない。仮に全ETHがステーキングされても利回りは約1.5%残り、追加でステーキングする誘因が消えない。これが提案者の問題意識である。

EIP-8363はこの計算式には手を触れず、上に控除を追加する。各エポックで報酬と罰則が適用された後、各バリデーターに割り当てられた任務(証明、ブロック提案、同期委員会)ごとに、理想的報酬の一定割合が課され、そのETHは焼却される。焼却率bは、総ステーク残高を60,250,000 ETHで割った値の1.5乗である。この閾値は現在の供給量約1億2,193万ETHに対して49.4%にあたり、到達時にbが1となって発行報酬が完全に相殺される。

設計上の要点が二つある。第一に、控除額は当該バリデーターが完璧に働いた場合の報酬額を基準に算定され、実際の稼得額ではない。これにより、任務を果たすか怠るかの差分は現行と変わらず維持される。報酬曲線そのものを縮小するとMEVに手を触れないまま任務ごとの誘因だけが弱まり、チェーンの安定性が損なわれるためだ。第二に、焼却されたETHはどこにも再配分されない。他のバリデーターや財団、公共財に振り向ければ総発行量は変わらず、その配分を巡るロビイングの対象が新たに生まれる、というのが提案者の説明である。

数字で見ると、これは55%の減収である

現状のステーキング量は約4,178万ETH、供給量の34.3%(ultrasound.money、8月7日時点)。提案の数式を当てはめると、現時点でも焼却率は57.7%に達し、コンセンサスレイヤーの総利回り2.57%は正味1.09%まで低下する。

見落とされやすいのは、この控除がバリデーター収入の一部ではなく大部分に効くという点だ。実行レイヤー収入(優先手数料とMEV)は焼却対象外だが、提案文書自体が実行レイヤー報酬を年間7万8,300 ETH以下、現在のステーク残高に対して約0.20%と見積もっている。ultrasound.moneyの実測でも発行報酬2.575%に対しMEV0.052%、チップ0.049%で、コンセンサスレイヤー由来の発行がバリデーター総収入の約96%を占める。結果として、全体収入は約2.68%から約1.19%へ、およそ55%減となる。

これを一度に適用すればステーク流出は避けられないため、提案は起動時にBASE_REWARD_FACTORを64から128へ一時的に倍増させ、約18か月(123,300エポック、65段階)かけて元に戻す移行期間を置く。ただし移行が緩和するのは水準だけで、形状は初日から有効だ。6,025万ETHで発行がゼロになるという上限は、稼働初日から効いている。

もう一つ数字に表れにくいコストがある。罰則の絶対額は変わらないまま正味収入だけが減るため、障害で失った分を稼ぎ直すのに必要な日数は現在の約3.8倍になる。停止コストのETH建て金額は同じでも、それを取り戻す時間は伸びる。ソロステーカーが最も強く反発した理由の一端がここにある。

反対論は三層に分かれている

第一層は事業への直撃だ。クレチョフ氏は、利回りが予測不能になれば安定したキャッシュフローを求める機関投資家がETHを避けると指摘し、さらにDeFiで報酬が0%になれば「ETHを借り入れる戦略の大半が事実上成立しなくなり、ETHを借りる唯一の理由はETHを空売りするためになる」と述べた。ETHを借りてステーキングまたはLSTを購入し、それを担保にまた借りるループ取引は、ステーキング利回りが借入金利を上回る限りでしか成立しない。Aaveの供給資産総額は8月6日時点で約263億ドル、うちETH建てが約109億ドルと全体の4割超を占め、借入残高は約113億ドルである。

第二層は手続き批判だ。シラガゼ氏は、DeFi全体に波及する経済変更が48時間のコメント期間で提出されたことを問題視し、この進め方は「イーサリアムがユーザーや開発者を顧みない少数の内部者に運営されている」という批判を裏付けると述べた。ただし提案のfront matterには7月14日の作成日が記載され、基礎研究は数年前に遡る。圧縮されたのは思考ではなく公開レビュー期間であり、その一点がコア開発者に最も強く響いた。

第三層はより厄介な、目的と手段の矛盾を突く議論である。クレチョフ氏はEthereum Magiciansで、利回りゼロの環境は経済的リターンを目的とする参加者を排除し、規制上・事業上の理由でステーキングする主体だけを残すため、提案が恐れているKYC済みで法域に縛られた operator の寡占をむしろ加速させると論じた。提案者の目標を認めたうえで、手段が目標に反すると主張する構成であり、議論の中で最も鋭い反論とされる。

なお賛成側の論拠も明確である。過剰なステーキングは限界的な安全性をほとんど増やさず、供給の大部分がカストディアンやETF発行体に集中するため、支配的な運営者に対するフォークの社会的調整が困難になる。発行はステーキングしない保有者への希薄化税として働き、結果としてステーキングを強制する。共著者のジェローム・ド・ティシェ氏は、参加キューが飽和したまま推移すれば2028年初頭にステーク量が7,000万ETH、供給の55%超に達すると警告した。

「99.92%反対」の読み方には注意が必要である

Ethereum Validators Associationは8月5日、この提案をステーク加重の意思表示投票にかけ、8月6日時点で約1億5,000万ドル相当が投じられ99.92%が反対と発表した。翌日には約8万3,000 ETH、99.77%反対という数字も流通した。

だが同協会自身の内訳によれば、この1億5,000万ドルは反対10票と賛成2票、合計12主体である。8万3,000 ETHはステーク総量の約0.2%にすぎない。方向性は実態を反映しているだろうが——バリデーターに自らの収入を削るかを問えば答えは予測可能である——規模は誤差水準であり、住民投票のように扱うべき数字ではない。

結末は「否決」ではなく「見送り」である

EIP-8363は8月6日のAll Core Devs Consensus会議(ACDC #184)で30分の議題枠を与えられ、Hegotá関連の中で最も長く議論された。小規模バリデーターと中央集権化への懸念、準備期間不足を理由とする取り下げ提案、中本係数への影響が指摘され、記録された次のステップは「コミュニティのフィードバックを踏まえHegotáの検討から取り下げることを検討する」だった。会議後に更新された検討候補リストに、この提案は入っていない。

ただしこれは否決ではない。そもそもPFI(検討対象への提案)は最も弱い手続き段階であり、Hegotáの選定自体は11月8日頃まで続き、本番稼働は2027年第2四半期と見込まれている。提案者が急いだ理由——遅らせるほど現状維持で利益を得る層が大きくなる——は、皮肉にもこの結果によって裏付けられた形になった。

事業開発に関するインサイト

  1. プロトコルは金融的に重要になるほど、自らの通貨政策を変更する能力を失う。 EIP-8363は技術的な瑕疵で止まったのではなく、ステーキング利回りの上に構築された事業群の反発と手続き批判で止まった。提案者が「毎月の遅延が現状維持を支持する層を増やす」と述べたのは、この力学の自覚である。参照金利としてのETHステーキング利回りに依存する商品を設計する事業者は、この利回りが「ガバナンスで変更され得るパラメータ」であると同時に「変更が事実上困難になりつつあるパラメータ」でもあるという両義性を前提に置くべきである。短期的には安定性が高く、長期的には未解決の論点が残り続けるという評価が妥当だろう。
  2. バリデーター収入の96%が発行報酬であるという構造を、日本の商品設計者は正確に把握しておく必要がある。 MEVや優先手数料が収益源として語られがちだが、実測ではコンセンサスレイヤー由来の発行が総収入の圧倒的多数を占める。ステーキング付き商品の利回り前提を置く際、実行レイヤー収入を過大評価すると想定が大きく狂う。国内でも暗号資産現物ETFの制度整備が議論され、米国ではETF発行体が保有ETHの実質全量をステーキングする動きが出ている。ETF・信託商品にステーキング報酬を組み込む設計では、報酬の内訳と、その大部分がプロトコル・ガバナンスの対象であるという事実を、目論見書レベルのリスク開示に落とし込む必要がある。
  3. ステーク加重の意思表示投票は、ガバナンス正統性の指標として過信すべきでない。 「1億5,000万ドル相当が99.92%反対」という表現は強い印象を与えるが、実体は12主体、ステーク総量の0.2%である。分散型ガバナンスを事業判断の根拠に用いる場合、投票額ではなく参加主体数と母集団比率を必ず確認する規律が要る。これはイーサリアムに限らず、DAO型の意思決定を採用する提携先や投資先を評価する際の共通の点検項目である。ガバナンス構造の脆弱性は、技術デューデリジェンスでは検出されない。

引用:出典

監修

石田陽之(いしだあきひさ)

Cabinet株式会社 代表取締役

2017年より、一貫してトークンやNFTの活用、ブロックチェーンゲームの企画・開発、NFTを活用した事業開発に従事。大手エンタメ上場企業を始め、80件以上のブロックチェーンプロダクトに対し事業責任者や設計、PM、アドバイザー等、様々な立場でブロックチェーン関連の事業開発に関わってきた。2021年よりCabinet株式会社を創業。

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