1億7,600万件で7,300万ドル──グレースケールのAI×ブロックチェーン論と、8日後に出た反論

グレースケールが挙げた3つの需要領域
パンドル氏は、AIとパブリックブロックチェーンが補完関係にあるとしたうえで、AI普及がブロックチェーン需要を生む領域として3つを挙げた。第一にエージェント金融である。AIエージェントが人に代わって行動するには仲介者を介さずに資金を保有・執行できるプログラム可能なウォレットが必要であり、少額決済、即時の国境を越えた決済、自動化された取引・リスク管理への需要が生まれるとする。該当ネットワークとしてイーサリアムとソラナを挙げた。
第二に、計算・本人確認・レピュテーションの記録の検証である。企業がAIに意思決定を委任するほど、どのモデル・データ・規則で判断が下されたかを検証する必要が生じ、利用者側もオンライン上で人間かAIエージェントかを区別する必要が出てくる。ここではワールドコインの本人確認サービスを例示した。第三に分散型AI基盤で、計算資源と支配力がフロンティアラボとハイパースケーラーに集中している現状への対案としてビットテンソルを挙げている。
発行体自身が書いたレポートである
読む前提として押さえておくべき点がある。グレースケールは同社が挙げた4銘柄について運用商品を提供しており、レポートは独立系アナリストではなく同社の投資調査部門が公表したものである。実際、同社が8月20日に公表したZcashに関するレポートについて、海外メディアはグレースケールがZcashトラストを運用しており価格と普及に直接の利害を持つ点、および調査部門による公表である点を明示的に注記している。今回のレポートも同じ構造にある。内容の妥当性とは別に、銘柄名の選定には利害が働きうるという前提で読む必要がある。
8日後に出た反対論
8月19日、フィデリティ・デジタル・アセッツのシニア・リサーチ・アナリスト、マックス・ワディントン氏が、このテーゼに対する6つの構造的リスクを列挙したレポートを公表した。第一に、AIエージェントがパブリックブロックチェーンに収斂しない可能性である。大手テック企業やフィンテックが運営するクローズドなシステムが、性能、コスト、ユーザー体験、規制の明確さで優位に立ち、同じ活動を吸収しうるとする。第二に、決済量の増加がトークン価値に結び付かない可能性である。ワディントン氏は、決済主導の成長の主たる経済的受益者は、基盤となるブロックチェーンではなくステーブルコイン発行体と周辺のサービス提供者になりうると指摘した。残る4点は、AIによるソフトウェア生産量の増加が必ずしも経済価値を生まないこと、コード生成が容易になることでネットワーク間の技術的差別化が弱まること、セキュリティ上の脅威の増大、規制対応の制約である。
同氏の核心的な一文はこうである。AIがデジタル経済活動全体を大幅に増やしたとしても、パブリックブロックチェーンがその意味のある部分を捕捉する保証はない。同レポートはまた、エージェント決済の多くがすでにレイヤー2や高スループットのネットワークで実行されており、ベースレイヤーでの価値捕捉がさらに圧縮されている点にも触れている。
数字が示すこと
この論争は、実データである程度決着がつく。調査会社キーロックによれば、AIエージェントは4月までの1年間に約1億7,600万件のブロックチェーン取引を通じて7,300万ドル超を決済した。単純計算で1件あたり約0.41ドルである。件数は膨大だが、1件あたりの経済的規模は極めて小さい。これは「使われていない」ことの証明ではなく、むしろ逆に、想定どおりマイクロペイメントとして使われていることの証明である。だからこそ、件数の増加がそのままベースレイヤーの収益に転化しないというフィデリティの指摘が重みを持つ。手数料率が同じでも、単価が1ドル未満であれば絶対額は積み上がらない。
争点はすでに決済レールではない
両レポートがともに十分に扱っていないのが、この1年で急速に整った標準規格の階層構造である。2026年7月14日、リナックス財団のもとでx402ファウンデーションが正式に発足した。加盟40社にはビザ、マスターカード、アメリカン・エキスプレス、ストライプ、AWS、グーグル、クラウドフレア、サークル、コインベースが名を連ねる。x402はHTTPの402ステータスコードを再活性化し、AIエージェントが通常のウェブリクエストの中で支払いを完結させる仕組みである。
重要なのは、これらが競合ではなく階層だという点だ。x402は決済の実行レイヤー、グーグルのAP2は権限委任と購入意図の証明レイヤー、オープンAIとストライプのACPはチェックアウトのフローを担う。そしてカードネットワークは、どの規格が勝っても自社の資格情報がその下に敷かれるよう、意図的に規格非依存の立ち位置を取っている。ビザのトラステッド・エージェント・プロトコル、マスターカードのエージェンティック・トークンはいずれも、決済レールそのものではなく、その一段下の資格情報と不正検知の層を押さえる設計である。
つまり、AIエージェント経済における価値の集積点は、資金が動く場所ではなく、「この支払いが本人の意思に基づく正当な委任である」ことを証明する場所に移りつつある。グレースケールが挙げた3領域のうち最も本質的なのは第二の「検証可能な記録」だが、そこを取りに来ているのは暗号資産プロジェクトだけではない。むしろ既存の資格情報インフラを持つ事業者のほうが、規制対応と加盟店網の面で先行している。
【事業開発に関するインサイト】
- AIエージェント決済は「件数」ではなく「手数料密度」で評価すべきである。1年間で1億7,600万件、1件あたり0.41ドルという実績は、従来の決済ビジネスの評価指標がそのままでは通用しないことを示している。取扱高に対する料率を前提とした収益モデルでは、単価1ドル未満の取引を何億件処理しても固定費を回収できない。金融機関がこの領域の事業計画を立てる際は、1件あたりの限界処理コストがゼロに漸近するアーキテクチャを前提にするか、決済そのものではなく上位レイヤーで課金する設計にするか、どちらかを最初に決める必要がある。この二択を曖昧にしたまま「AIエージェント決済に参入する」という計画は、確実に採算を割る。
- 収益機会は決済の実行ではなく、権限委任の証明にある。カードネットワーク各社が、決済レール競争に参加せず、規格非依存の資格情報レイヤーに陣取っている事実は示唆的である。彼らは、どの規格が勝っても自社の資格情報が下敷きになる位置を選んだ。日本の金融機関にとっても、同じ構造が当てはまる。AIエージェントが顧客に代わって取引を行う世界では、「この指示が確かに本人の意思に基づくか」「委任の範囲を逸脱していないか」を証明・監査できる主体が必要になり、それは既存の本人確認と与信の実績を持つ側の役割である。ウォレットや決済基盤を自前で作るより、この証明レイヤーで既存資産を活かすほうが競争優位を築きやすい。
- 発行体リサーチの読み方を組織として制度化すべきである。今回のグレースケールとフィデリティの対立は、どちらが正しいかという問題ではなく、両社とも自社の運用商品と整合的な結論を出しているという構造の問題である。グレースケールは4銘柄の運用商品を持ち、フィデリティはビットコイン中心の運用体制を持つ。経営層に上げる資料では、リサーチの発信主体が当該資産に利害を持つか否かを明示し、独立系調査機関やオンチェーンデータによる裏取りとセットで提示する運用を標準化すべきである。今回のキーロックの実測値のように、両論を検証できる数字を一つ添えるだけで、判断の質は大きく変わる。
【引用:出典】
- CoinPost「グレースケール、AI普及でブロックチェーン需要増と分析」https://coinpost.jp/?p=730791
- Grayscale Research(Zach Pandl)「Why AI Needs Blockchain Technology」https://www.grayscale.com/the-stack/why-ai-needs-blockchain-technology
- Fidelity Digital Assets(Max Wadington)「AI's Potential Impact on Digital Assets」https://www.fidelitydigitalassets.com/research-and-insights/ais-potential-impact-digital-assets
- CoinDesk「AI could supercharge crypto but there's a catch, Fidelity Digital Assets says」https://www.coindesk.com/tech/2026/08/19/ai-could-supercharge-crypto-but-there-s-a-catch-fidelity-digital-assets-says
- BeInCrypto「Fidelity Digital Assets Names 6 Risks to Crypto's AI Agent Thesis」https://beincrypto.com/fidelity-grayscale-ai-blockchain-agent-risk/
- crypto.news「Fidelity names 6 risks to crypto's AI agent thesis」https://crypto.news/fidelity-names-6-risks-to-cryptos-ai-agent-thesis/
- The Crypto Times「Grayscale Says AI Could Drive New Demand for Public Blockchains」https://www.cryptotimes.io/2026/08/11/grayscale-says-ai-could-drive-new-demand-for-public-blockchains/
- The Crypto Times「Grayscale Flags Zcash Privacy Use as AI Expands Financial Data」https://www.cryptotimes.io/2026/08/20/grayscale-flags-zcash-privacy-use-as-ai-expands-financial-data/
- CoinDesk「Visa, Stripe and Google join massive open-source project to let AI agents pay each other」https://www.coindesk.com/business/2026/07/16/ai-payments-have-a-new-open-standards-body-its-aim-is-to-reinvent-the-internet
- Mastercard「Mastercard launches Agent Pay for Machines」https://www.mastercard.com/global/en/news-and-trends/press/2026/june/mastercard-launches-agent-pay-for-machines.html
- ForkLog「Fidelity Assesses AI's Impact on the Crypto Market」https://forklog.com/en/fidelity-assesses-ais-impact-on-the-crypto-market/
石田陽之(いしだあきひさ)
Cabinet株式会社 代表取締役
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